院長ブログ

2018.09.08更新

開院して18年経つが、医者になった頃は、開業医になるなんて思ってもみなかった。

勤務医時代は手術、分娩と多岐にわたり仕事をしていたが、それなりに充実していた。

ある、きっかけで、見たことも聞いたこともない金沢区で開業することとなった。

開業が決定してから、約ひと月で開院した。

開院前は、広島で働いていたので準備が大変だった。寝れなかった、いや、寝る暇がなかった。47歳だった。

開業医なんてたいしたことないと思っていたが、大間違いだった。 朝から晩まで外来をこなすのは今もそうだが大変である。

開業しての睡眠時間は4時間ほどだった、勤務医時代よりも過酷だった。

そして当然のように、開業後2年でノイローゼになった、かなり自暴自棄になった、危うかった。

立ち直れたのは、妻(本当にありがとう)、家族、スタッフ、それと患者さんの励ましだった。ここですべての人に感謝を申し上げる。ありがとうご

ざいます。

 

勤務医時代は回診も大事な仕事である、すべての患者さんの状態を把握しておくためにも。

産婦人科の病床は、産科、婦人科の患者さんが入院している、当たり前か。

だが、そこでは、婦人科病床に小児科の患者(さんを省きます)も入院していた。小児科の患者といっても、歳は20前後、小児科の先生が患者が小

さい頃から診ていた。 血液の病気であった、時々輸血が必要だった、難病であった。輸血のインターバルも短くなっていた。

回診の際の、雑談か世間話かわからないようなやりとりを、横で微笑みながら聞いていたのを今でもはっきり覚えている。

物静かな女性であった、たまには帰宅はしていたが、その時はずいぶんうれしそうにしていた。しかし、長期の入院生活を余儀なくされていた。

恋もデートもままならなかった。 彼女は音楽が大好きで、なかでも当時流行っていた、スピッツの大ファンであった。

ある日、枕元にカセットテープがあったので誰の曲? と聞くと、ちょっとはにかんで スピッツです と彼女は言った。

興味があったので、是非聞いてみようと思いそのテープを借りた。

それから、1週間ほど経った日の朝、いつもの回診の時、彼女のベットがきれいに整頓されていた。

その日の明け方、医師の懸命の救命処置にも拘わらず彼女は帰らぬ人となった。

あのカセットテープは返せないままでいる。

 

 

投稿者: 迫田産婦人科