院長ブログ

2018.10.30更新

沖縄は昔はアメリカだったのをご存知ですか? 沖縄が日本に返還(復帰)したのは、昭和47年、西暦1972年、つまり、46年前になります。 私が与那国島に行ったのは、昭和38年、西暦1963年、小学5年生の夏でした。 当時はアメリカでしたので、パスポートが必要でした、そればかりではなく、予防接種なども必要でした。富山県に住んでいたので、沖縄までの旅行はそれは大変でした。汽車(蒸気機関車 煙の出るやつ 懐かしい)で富山を出発、関門トンネルを通って九州にわたり、鹿児島まで行き、鹿児島で一泊。それほど裕福ではなかったので(どちらかといえばかなり貧乏)急行、鈍行を乗り継いでの長旅でした。それから、那覇港まではおよそ24時間かけての船旅(当時、飛行機など考えられなかった。本当に隔世の感あり)港に降りる前になんと税関検査! それから那覇市内の母の妹の自宅までタクシー(右側通行、これにびっくり、嗚呼、アメリカだ~あ、外人さんも多い多い)家は洋風ちょっとアメリカ風(でも、立派な建物ではなかった、ごめんなさい)、そこで1週間過ごしたのだがいろんな経験をした。まずお金、円ではなくドル、セント、沖縄には汽車がない、タクシーをよく利用する。とにかく暑い、従弟と飲み物を買いに行ったが、これ飲んだことがある?と私に聞いた。瓶に入ったその液体は黒色をしていた、見た目には決しておいしそうには思えなかったが、あまりに勧めるので、仕方がないから飲んでみた、のが悪かった。一口で吐き出してしまった、それは想像をはるかに超えた代物であった。子供が飲むものではなく、何かの薬が入っているのではと思わせるほどまずかった。しかし、従弟はおいしそうに飲み干した、なんでえ?こんなにおいしいのにい~。これなんて言うの? コーラって言うんだよ。当時、コーラはポピュラーな飲み物ではなかった、名前すら知らない大人も多かった、がここ沖縄では人気の飲み物であった。それ以来コーラと聞くと、その時の味が蘇ってきてムカムカしたのを覚えている、それ以来、10年以上もコーラを飲むことがなかったが、魔が差したか飲んでみたら、まるっきり味が違っていた、どうやら、コーラの味はお国柄に合わせているようだと後で知った。多感でちょっと素敵な中学生の従姉は、ウエストサイドストーリーに夢中になっていた。それと、沖縄の人は日本本土のことを内地(ないち)と言っていたが、小学生の私には違和感が強かった。次は石垣島に渡ったがもちろん船旅、石垣島では親戚のおじさんが三線を弾いて聞かせてくれたが、子供心にもどこか物悲しい感じがした。当時の私は沖縄の悲惨な歴史を全く知らなかった。石垣島には車はあまりなく、もっぱら大きな牛が荷物を運んでいた。次は最終目的地の与那国島、石垣島からもちろん船で、これが50年以上経った今でも忘れられない、本当の旅の始まりでもあった。 続くかも。nini

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投稿者: 迫田産婦人科