院長ブログ

2019.01.10更新

ブランドとは、

商標,銘柄。通常,自社の商品・サービスと他社のそれとの差別化を図る目的で使用される。消費者にとっては,商品やサービスの質を判断する際の指標となり,また,質とは関係なくそのブランドの商品を持っていると格好が良いという〈ブランドの一人歩き〉現象も多く起こっている。最近では,メーカー・ブランド(ナショナル・ブランド)に代って,百貨店やスーパー等の流通業者によるプライベート・ブランド(PB)が急増中である。 (百科事典マイペディアより。)

昨年の春までポルシェターボに乗っていた、からだの一部のような車でスキがなかった。箱根の峠、上りの急コーナーに差し掛かった時、対向のバイクがオーバーランしてきた、慌てたんだろう、転倒してバイクとともに横っ滑りしながらポルシェに突っ込んできた、あ、やばい轢いたと思った。が、急ブレーキが効果し衝突はまぬがれた。車から降りてみたら、バイクとの距離は1mほどしかなかった。ポルシェって何がすごいか分かりますか。スピードではないんですよ、そりゃあスピードはアクセル踏み込めば首を痛めるくらいの加速をします。また、ハンドルは微動だにせず忠実にトレースしてくれる。エンジンが後ろにあるからハンドル操作はかなりクイック。4輪駆動だから多少雪が積もってても走れる。とまあいろいろありますが、実はポルシェのすごいところはそうではないんです、何かと思われますか。

そうです、ブレーキです。このブレーキが実に素晴らしい、奥がものすご~く深い。緩急様々な反応をしてくれるし、フルブレーキングでもめったに姿勢を崩さない、手放しでフルブレーキングしても真っすぐ止まってくれる。ただこれだけではない、ブレーキング中のハンドル操作も思いのままである。富士スピードウエイでのポルシェドライビングスクールでは、ウエット路面でフルブレーキングをし数本のパイロンを走り抜けるトレーニングをする。助手席に有名なプロドライバーが乗ってくれていろいろアドバイスもしてくれる(私の場合女性の有名なプロドライバーだった)。

アクセルペダルから足を離すそのスピード、ブレーキペダルを踏みこむまでの時間や踏み込む強さに応じ様々な反応をしてくれる、実にバリエーションが豊かである。このブレーキがあったからこそ、バイクのあの青年は死なずに済んだんだと思う。そりゃあ音は静かでもないし、乗り心地も固め、燃費も良いとは言えないし維持費もかかる、4人乗りではあるが実際2人しか乗れないと欠点もある。そんな私の10年ポルシェも、昨年春にエンジン部分から白い煙が出たので結局手放した。去っていくポルシェを見送りながら有難うと感謝した。

それから現在のスバルに乗り換えた、なぜこの車に決めたかというと、たいした理由は無かったんです。5人乗れるし、ワゴンだから荷物もたくさん積める、そういったことでなんとなく決めたかな今思えば。前の車が車だっただけに、全然期待してなかった。案の定、はじめはアクセルレスポンス、エンジンブレーキなどは嗚呼やっぱりという感じであった。値段も比較にならないのだから仕方がないと諦めていた。おじさん車だわいと思っておった。ところがである

走行距離が4000キロ過ぎたあたりからエンジンも回るようになったし、レスポンスも良くなり、足回りも、いわゆるあたりがついてきた。     この車にはアイサイト・ツーリングアシストという機能が付いている、時速0~120km/hの幅広い車速域で、アクセル、ブレーキ、ステアリング制御を自動でアシストしてくれる。どういうことかと言うと、例えば高速道路で時速80km/hに設定すればその速度を維持してくれて、前車との車間距離も設定でき、追従走行する。そればかりではない車線逸脱防止機能があるので車線のはみだしを制御するし、時速80km/hほどだったらカーブも自動で曲がる。信号待ちで停車中に美人に見とれていても、どこからともなく『あんたぁ~!』と言う、いや冗談、優しい女性の声で『先行車発進しました』とアナウンスしてくれる。バックする際も後方左右各々10メートルくらいの障害物をも検知する(先日もバックしている時、警告音が鳴ったのでよくよく見ると右後方に車が来ていてヒヤッとしたものだ)。(言っておきますがスバルからは金は貰っておりません)

てなわけで、今はこの車を愛して乗っております。癒されるんですよこの車、安心一杯なんですよ、疲れませんし。とても5分の1の値段の車だとは今は思っておりません、私の客観評価はポルシェを100とすれば70くらいですかな(怒られるかな)。と、すればこのスバルは時価1400万円の車ということになります。だが実際は400万円で購入しました。じゃあこの1000万円の差はどこから?

スポーツカーだから?いやいや日本にもありますよ、スポーツカーが。例えば同じスバルのWRX STi、これなんかいい車ですよ。ある時、西伊豆スカイラインのワインデイングを走っていると、後ろから来ましたよそのSTiが。猛スピードで近づいてきたので私もアクセルちゃんを踏み込み完全にスイッチオン、いわゆるバトル開始である。彼は直線ではやや引き離されるもののコーナーで接近してくる。ポルシェはかつて280出たことがある? 修善寺から土肥峠駐車場までの約10キロの真剣バトルであったが、そんなに引き離されることもなく彼は後ろからついてきた。車を降りると私に近づくなり『さすが早いですねえ~』と言って私の車をまじまじと観察していた。今まで私の相手はフェラーリやガヤルドやポルシェGT3などであったのだ。彼のSTiはもちろんチューンはしていたがそれでもである。彼の運転技術もさることながらこのSTiは凄かった。他にも優れた国産スポーツカーは存在するし、値段もポルシェよりかなりお買い得である。スバルの安全装備は世界一で、直進安定性も素晴らしい。ベンツ、アウデイでも敵わない。この直進安定性というのは非常に大切で、変な神経を使わなくていいので疲労度が全く違う。水平対向エンジン搭載車であるポルシェ、スバルの、ハンドルがぶれないその直進安定性に関しては引き分け。じゃあ何故ポルシェは高価なのか?

ポルシェの本国ドイツには、速度無制限道路であるアウトバーンがある、ここでは日本では考えられない猛スピードで車が走っている。そのためには車の剛性は欠かせない。つまりしっかりした車でなければならない、部品やボデイがガタガタではいけないのである。そのためには材質の頑丈さが必要になる、しかし結果として車が重くなってしまってもいけない、したがって軽くて頑丈で成形自由な材質のアルミなどを使用するが、アルミは高価である。アルミニウムはボーキサイトという鉱物を処理して酸化アルミニウム(アルミナ)が精製され、それを電気分解することでアルミニウムとなるんですが、この段階で電気が必要になるんです。日本では、アルミニウムの精製のための電気料金が高価になるため競争力がないので、車にはあまり使われてはいません。他にもエンジン内の材質問題(確かに高価のものを使っている)がありますね。ポルシェは何十年も乗れる車を目指している、しかし日本車だって他のアジア、ロシアなどにも日本の中古車が元気に走っている。耐久性でも引けを取らない。

更に、ポルシェの年間生産台数は約15万台、一方スバルは約100万台と6倍強の生産能力の差があります。この生産能力にはいろんな要素があると思うんですが、例えば匠の技術、つまり機械では不可能な熟練工の技が必要な部分が多く、1台を完成するに時間がよりかかってしまう。現代では人の手が一番高コストであることは論を待たない。また、ポルシェは完成車のチェックにも念入りで、1台毎にドライバーによるチェックをおこなって市場に出している。人件費の問題がありますね。(日本の匠もあなどれない)

輸入車だから関税がかかる❓ いやかかりませんし、ドイツからの移送費用は1台数万円程度です。ま、輸入車なので日本の法律(排ガス規制など)に合致させる必要があり、このコストはかかるでしょう。意外ですが、車種によってはドイツ本国より価格を割安に設定しているものも存在する。

結論から言えば(メーカー及び輸入車デイーラーの方、素人ですからごめんなさい)、やはりブランドイメージです。これが車の値段を多少は決定づけている。と私は思います(ちょっと強引かな)。

日本人はこのブランドに弱いとよく言われます、ブランドイメージも大切なことはわかっております。ドイツという国ブランドも影響しているかもしれません。ポルシェをはじめとして、ベンツ、ビーエム、アウデイなど  名だたる車メーカーがあります。ステータス的価値をプラスされたメーカーばかりです。それを保有している優越感、ステータス性、それらがブランドを育んでいくのでしょうか。

以前、山口県の萩市に勤務していたことがあります。医局人事(教授の鶴の一声命令人事)で決まったのですが、当時の医局長は、私のことを気遣って飲みに誘い、『すまんが行ってくれるか』と申し訳なさそうにしていた。この人事で私の人生が大きく変わった。一つは主流派から反主流派の烙印を押された事、つまり、単なる駒になったのである。そののち広島で勤務(この病院には教授の目の上のたんこぶ的先生がいた。この先生とは馬が合い、入局前から何かと気をかけてくれていた。)したが、この先生にはいろいろと教えてもらった。例えるなら、教授クラスの医師が家庭教師になったようなものである。この先生ほどの域には今だ達してはいないが、いろんな意味で目標である。

さて、萩市の病院の話に戻るが、萩は山口県北部にあり日本海に面した、人口5万人足らずの小都市である。あの吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文などを輩出したことでも有名だが、お隣の津和野とともに観光スポットでもある。しかしあまり知られていないが、魚が豊富で実に新鮮なものが手に入る街なのである。どこの寿司屋に入っても全く期待を外さない、安くてうまい寿司が食える。よく寿司屋には通ったが、私が一番好きだったのが、とある店のばってら寿司であった、それはそれは絶妙な酢加減で何貫食べても飽きは来なかった。今でもあの味は忘れられない、残念。当時その病院では分娩も取り扱っていたので、出産祝いを多く頂いたりした。サザエなどバケツで持ってこられるのだ、よくサザエご飯にして食べたものだ。あるときなど、夜の10時すぎごろだったか、玄関のドアを強くドンドンとたたく音が聞こえた、ただならぬ気配を感じた、何事?こんな夜に。さらに『 せんせ~い、せんせ~い 』と大きな声がする。誰だこんな夜更けに?ドアを開けるなり、その主は言った『せんせ~い、先日、お産でお世話になった者です、ありがとうございました。おかげさんで跡取りができました。これ受け取ってください。』と言って大きな大きな発砲スチロールを差し出した。開けてみると中身はブリであった、いわゆる出世魚である、優に1メートルは超える大物であった。もちろん、見たこともなかった。ご主人の話によると、一家は地元の網元をしており、その跡取りができたとのことであった。それで捕ってきたばかりのブリをいち早く持ってきたのである。しかし、そのブリがあまりに大きかったので、家族一緒に写真におさまった、何故か子供たちは Vサインをしていた? Vとブリ? さあ~頂いたは良いがあまりにも大きすぎる、伸ちゃん(かみさん)いわく『どうしたら良いの?』ほとほと困ってしまったのである。イメージとしてはお正月の豊洲のクロマグロ!? 

そこでである、伸ちゃんは考えぬいた挙句、近所の魚屋さんにその巨大ブリを持って行ったのである。いやいや魚屋さんに売りに行ったわけではありません、食べれるように解体をお願いしに行ったわけです。そこの魚屋さん曰く『あれま~、こんな大きなブリ久しブリ! いや、初めて見た!』かまやあらは魚屋さんにあげたので解体料はタダであった。その残りを家に持って帰ってはみたものの、全ては食べきれないため皆様におすそ分けいたしました。網元、その際はありがとう。

海の幸の話をもう一つ、それはフグです。山口県下関市、特に南風泊(はえどまり と呼ぶ)漁港は有名である。フグのなかでも高級とされる天然のトラフグなどは下関に全国の7割から8割が集荷される。 下関のフグといえばもう完全なブランドであるが、別に下関沖でフグが捕れているわけではないのである。下関には東シナ海、黄海、日本海の遠洋から、瀬戸内海など近海から漁船で直接運び込まれる。また韓国や中国からの輸入物も船で運び込まれる。これ以外には、若狭湾や伊勢湾、遠州灘などで捕獲されたフグも陸路トラックにより運び込まれるのである。では何故、下関のフグはブランドとなったのか。一漁師の網の工夫、朝鮮半島問題、冷凍技術、袋競り【袋競りとは、仲介者と買い手が、「ええか、ええか」の掛け声とともに、他者から見えないように服の袖から下を互いに筒状の布袋の中に入れて、仲介者の指を買い手が握ることで値段をつける取引である(指の握り方によって仲介者に値段を伝える)。つまりどの買い手がどのような値段をつけたかは分からないようになっている)】、加工技術(フグには毒がある)や輸送技術などをして今のブランドを作り上げたのである。いろんな人の苦労、手を経て我々はフグを食しているのである。ブランドはそこに苦難の歴史がある、この苦難を乗り越えてきたからこそブランドとなったのである。

長い話も最後はあのユニクロの話ですよ。

25年ほど前、当時、前にも書いたように私は山口県萩市に住んでいた。郊外をドライブしている時、真新しい建物に気づいた、あれっ、こんなの今まであったっけ?助手席の妻に聞いた。すると妻は『ユニクロっていう店よ』、それが私にとって初めてのユニクロであった。当時ユニクロはどちらかと言えば、地価が安い所を選んで店舗を展開(全国で約百店舗ほど)、また生産拠点も人件費が安い中国大陸に置き日本に逆輸入し、積極的に低価格な製品を作っていた。しかし、当初は製品の品質面からすれば若干見劣りがしたものだ、Made in ChinaはMade in Japanに比べ明らかに見劣りがした。品質より価格を優先し、消費者も2年程使えれば良いと考えていた。そもそも、ユニクロ1号店は、34年前、広島市に開店するのである。それまでは山口県宇部市で個人経営のメンズ専門店として男性向け衣料品を扱っていた。その1号店の店舗名はUNIQUE CLOTHING WAREHOUSE【ユニーク クロージング ウエアハウス】であった。ユニクロの呼称はこの店舗名の略称が元になってはいる、英文つづりは【UNI-CLO】であったのだが、その後登記の際に書き間違えがあり、今の【UNI-QLO】になったそうだ。その後有名タレントなどを起用したCM戦略、広告代理店との提携によりユニクロを世に知らしめている。そしてあのフリースがバカ売れし、ユニクロのName valueは不動のものとなり、大人から子供まで知ることとなったのである。2000万枚以上の大セールスを記録したシーズンもあった。私でさえ2着持っていました。まさに国民服であったが、世の常であるが、飽きられたのだろう、業績不振に陥る。しかし、転んではただでは起きない(ここが大事)、M&A(新しい血を注入)や新たなデザイナーの採用(規制観念の破壊)、CMなどにより業績回復をはたした。そしてグローバル化、新ブランド、商品の耐久性向上(長持ちする)、高付加価値製品の発売、ファッション性向上などを経て、今があり、錦織選手やフェデラー選手がコートで必死に闘っている。(ユニクロとは関係ないが、錦織選手、大阪なおみ選手のスポンサー企業に日清食品がある。この会社のスローガンは【勝つまで負けない】)
1940年代、山口の小さなメンズショップが70年の時を超え、今のユニクロがある。
人生もこのユニクロと同じであろう、どんなに苦境に立たされても信念を貫き、現状を打破する知恵を働かせ、自分のブランドを立ち上げる。生きるということはそういうものではないだろうか.

owari

 

 

投稿者: 迫田産婦人科