院長ブログ

2018.09.13更新

やっと涼しくなってきた、今年の夏は異常だった。

この時期になると、この曲(夏の終わりのハーモニー)が蘇ってくる。

この曲をはじめて聞いたのは、小さな飲み屋であった、同期入局の(会社で言えば入社)S君がカラオケでこの曲を歌っていた、そういえば最近カラオケ行ってないな~。 S君は、大学から広島の関連病院に転勤することになっていた。(あの時代、教授は超絶大な権力を持っており、人事権もあり、医局員を好きなように動かしていた。)私はS君が好きだった(恋ではない)。こんなエピソードがある、S君は大学で超音波グループに入っていた(医局は当時、超音波グループ、腫瘍グループ、不妊グループの3つに分かれていて、ちなみに私は不妊グループに入っていた)が、資料集めの仕事のために、カルテを医局の自分の机に置いたままにしていた。みんな時々そうしていたが、たまたま、ある患者が外来を受診した。その患者のカルテが見つからなかった。今と違いアナログ時代であるから、カルテは診察に欠かせない。いろいろ探した結果、彼の机の上にそれはあった。さあ~、登場、こわもての外来医長のT先生に呼び出された、ご想像にお任せしますが、それは、それは、それは可哀そうだったです。このT先生には私もずいぶんお世話になったから、悪く言うつもりはないが、怒った時はいささか尋常ではない。エピソード:夜の11時過ぎ、家の電話が鳴った、こわもての外来医長T先生からである、今飲み屋にいる、帰るから迎えに来い、との御電話であった。そろそろ寝ようかな~と思っていた私はそさくさと準備をし、車を走らせ仰せつかった飲み屋に行った。その店に入るなり、T先生はお怒りになった、どんだけ待たせるんじゃあ、実は電話を頂いてから、20分ほどしか経っていなかった。土下座して謝れえ と仰った、躊躇なく私はその店の冷たい土間で正座をし謝った。店のママ(おばさん)が私に向かって、先生、そんなことやめなさい  と言ってくれたが、私は額をその土間につけ謝った。青春の思い出である。お互い若かった。そんなT先生だから仕事上のミスは容赦はしない、翌日S君は坊主頭になっていた。5分刈りというやつで超短いカットである。あの時代、長髪が主流であったのでS君の坊主頭はインパクトがものすごかった。彼の頭は注目の的であった、潔(いさぎよ)かった。不謹慎かもしれないが、良い奴だなあ~と思った、さぞかし躊躇はあっただろうに、命令に背かずさっぱりと頭を丸めた。ちょっと抜けたとこもあったが仕事は熱心だった。そんなS君が飲み屋で一人で歌っていたのが 、夏の終わりのハーモニー だったのである。いい曲である、夏の終わり、この曲とともにS君を思い出す、大学を出てからは一度も会ってはいないが、四国の病院で頑張っているようだ。機会があれば動画サイトで見てほしい、玉置浩二のソロも良いが、どこかのコンサートの締めで、初めて井上陽水と披露した時のものが好きである。陽水も玉置浩二も若いし、声が良いちょっと感動ものです、是非。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.09.09更新

大坂選手、全米オープンの50周年記念大会で優勝。セレナを破っての優勝、おめでとうございます。

圧倒的な強さで勝ち進んでの優勝、見事でした。これから、どこまで勝ち続けるのでしょう。

トロフィーセレモニーも素晴らしかった。泣けた、セレナが好きになった。

一方、大谷選手は約200打席で19本のホームラン、まさに、ホームランバッター。

大谷選手は、2億円ちょっとの契約金でアメリカに渡った、来年まで待てばこの100倍ぐらいの値段がついたでしょう。それでも大リーグでプレイがした

くてアメリカ行きを決めた。約200憶円ですよ、考えられない。これが大谷選手なんですな。活躍が期待できます。

いずれも、大きな坂と谷、平坦ではないが頑張って。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.09.08更新

開院して18年経つが、医者になった頃は、開業医になるなんて思ってもみなかった。

勤務医時代は手術、分娩と多岐にわたり仕事をしていたが、それなりに充実していた。

ある、きっかけで、見たことも聞いたこともない金沢区で開業することとなった。

開業が決定してから、約ひと月で開院した。

開院前は、広島で働いていたので準備が大変だった。寝れなかった、いや、寝る暇がなかった。47歳だった。

開業医なんてたいしたことないと思っていたが、大間違いだった。 朝から晩まで外来をこなすのは今もそうだが大変である。

開業しての睡眠時間は4時間ほどだった、勤務医時代よりも過酷だった。

そして当然のように、開業後2年でノイローゼになった、かなり自暴自棄になった、危うかった。

立ち直れたのは、妻(本当にありがとう)、家族、スタッフ、それと患者さんの励ましだった。ここですべての人に感謝を申し上げる。ありがとうご

ざいます。

 

勤務医時代は回診も大事な仕事である、すべての患者さんの状態を把握しておくためにも。

産婦人科の病床は、産科、婦人科の患者さんが入院している、当たり前か。

だが、そこでは、婦人科病床に小児科の患者(さんを省きます)も入院していた。小児科の患者といっても、歳は20前後、小児科の先生が患者が小

さい頃から診ていた。 血液の病気であった、時々輸血が必要だった、難病であった。輸血のインターバルも短くなっていた。

回診の際の、雑談か世間話かわからないようなやりとりを、横で微笑みながら聞いていたのを今でもはっきり覚えている。

物静かな女性であった、たまには帰宅はしていたが、その時はずいぶんうれしそうにしていた。しかし、長期の入院生活を余儀なくされていた。

恋もデートもままならなかった。 彼女は音楽が大好きで、なかでも当時流行っていた、スピッツの大ファンであった。

ある日、枕元にカセットテープがあったので誰の曲? と聞くと、ちょっとはにかんで スピッツです と彼女は言った。

興味があったので、是非聞いてみようと思いそのテープを借りた。

それから、1週間ほど経った日の朝、いつもの回診の時、彼女のベットがきれいに整頓されていた。

その日の明け方、医師の懸命の救命処置にも拘わらず彼女は帰らぬ人となった。

あのカセットテープは返せないままでいる。

 

 

投稿者: 迫田産婦人科