院長ブログ

2018.10.31更新

今日は水曜日なので、午後からの休みを利用して、彼女と?久し振りに江の島まで湘南ドライブを楽しんだ。風もなく晴れていて、車の窓を開け134号線を走る。空は青く海も穏やかで気持が良い、江ノ電が走っている。鎌倉も、江の島も平日だが賑やかだ。ちょっと遅めの昼ご飯を食べ、頂上まで階段を登って行く、彼女がエスカー使わないの?と冷やかした。オリンピック開催が決まっているヨットハーバーを眼下に見下ろす、各大学のヨットが小さく見える。中村屋羊羹(ようかん)店で女夫(めおと)饅頭と海苔羊羹を買い、店の前の小道を通って下って行く。実はこの道、素敵なview pointなのである、人通りが少なく、海岸線が見通せ、富士山も見える、頂上からの帰りは必ずこの道を通る。噴水池の近くの岸辺で一服、そこでただ海を見つめる、何人かの釣り人が糸を垂らしている、鳥も飛んでいる、穏やかな秋の午後、ハロウィンとは無縁の時間がそこにあった。

11月は俗称、霜月と呼ばれる、文字通りこれから寒くなってきます、風邪などひきませんようにお体を大切に。海を見ていた午後(場所違うが)        あ、そうだ、しらすと蛤も食べたっけ。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.30更新

沖縄は昔はアメリカだったのをご存知ですか? 沖縄が日本に返還(復帰)したのは、昭和47年、西暦1972年、つまり、46年前になります。 私が与那国島に行ったのは、昭和38年、西暦1963年、小学5年生の夏でした。 当時はアメリカでしたので、パスポートが必要でした、そればかりではなく、予防接種なども必要でした。富山県に住んでいたので、沖縄までの旅行はそれは大変でした。汽車(蒸気機関車 煙の出るやつ 懐かしい)で富山を出発、関門トンネルを通って九州にわたり、鹿児島まで行き、鹿児島で一泊。それほど裕福ではなかったので(どちらかといえばかなり貧乏)急行、鈍行を乗り継いでの長旅でした。それから、那覇港まではおよそ24時間かけての船旅(当時、飛行機など考えられなかった。本当に隔世の感あり)港に降りる前になんと税関検査! それから那覇市内の母の妹の自宅までタクシー(右側通行、これにびっくり、嗚呼、アメリカだ~あ、外人さんも多い多い)家は洋風ちょっとアメリカ風(でも、立派な建物ではなかった、ごめんなさい)、そこで1週間過ごしたのだがいろんな経験をした。まずお金、円ではなくドル、セント、沖縄には汽車がない、タクシーをよく利用する。とにかく暑い、従弟と飲み物を買いに行ったが、これ飲んだことがある?と私に聞いた。瓶に入ったその液体は黒色をしていた、見た目には決しておいしそうには思えなかったが、あまりに勧めるので、仕方がないから飲んでみた、のが悪かった。一口で吐き出してしまった、それは想像をはるかに超えた代物であった。子供が飲むものではなく、何かの薬が入っているのではと思わせるほどまずかった。しかし、従弟はおいしそうに飲み干した、なんでえ?こんなにおいしいのにい~。これなんて言うの? コーラって言うんだよ。当時、コーラはポピュラーな飲み物ではなかった、名前すら知らない大人も多かった、がここ沖縄では人気の飲み物であった。それ以来コーラと聞くと、その時の味が蘇ってきてムカムカしたのを覚えている、それ以来、10年以上もコーラを飲むことがなかったが、魔が差したか飲んでみたら、まるっきり味が違っていた、どうやら、コーラの味はお国柄に合わせているようだと後で知った。多感でちょっと素敵な中学生の従姉は、ウエストサイドストーリーに夢中になっていた。それと、沖縄の人は日本本土のことを内地(ないち)と言っていたが、小学生の私には違和感が強かった。次は石垣島に渡ったがもちろん船旅、石垣島では親戚のおじさんが三線を弾いて聞かせてくれたが、子供心にもどこか物悲しい感じがした。当時の私は沖縄の悲惨な歴史を全く知らなかった。石垣島には車はあまりなく、もっぱら大きな牛が荷物を運んでいた。次は最終目的地の与那国島、石垣島からもちろん船で、これが50年以上経った今でも忘れられない、本当の旅の始まりでもあった。 続くかも。nini

You've Got A Friend

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.26更新

 

元気がないなら Superstition( live by Stevie Wonder ステイービー・ワンダー スーパーステイシオン) 40年以上経ってものれる曲。1000回は聞いてはいない。 バックもすごい。   Part Time Lovers ( live by Stevie Wonder ステイービー・ワンダー パートタイムラバーズ ) 意味深。観衆と一体ですごい。     HeartBreaker ( by Dionne Warwic デイオンヌ・ワーウイック ハートブレイカー)相変わらず素敵な良い曲です。   I Will Survivelive by Gloria Gaynor ) 男の子びっくりです。   

 

癒されたいなら Lately ( live by Stevie Wonder ステイービー・ワンダー レイトリー )泣くかも。      I'll Never Love This Way Again  ( by Dionne Warwic デイオンヌ・ワーウイック) 名曲です。   That's What Friends Are Forby  Dionne Warwic & friends デイオンヌ・ワーウイック と仲間達 ) グラデイスも良い。     Always ( by Atlantic Star アトランテイック・スター オールウエイズ 1987 ) 好きな曲です。どこか日本的。      誓い by The Stylistics スタイリステイックス 誓い )最高のファルセット。何回聞いたか、100回以上かも。   I Miss Youby Klymaxx クライマックス )  たしか、マイケルも歌っていた。

 

渋さなら      A Whiter Shade of Pale (live in Denmark 2006 by Procol Harum プロコル・ハルム 青い影)渋すぎ、かっこ良すぎ。まだ、ニキビの少年の頃の曲です。  Feel like making Love Bob James Quartet live at Java Jazz Festival 2010 )上手い、渋い。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.13更新

先日、建長寺に墓参りに行ってきた。もうすぐ17年になる、ここに墓を建てたのは。 それまでは倉敷の寺に遺骨を納めていた、この商売どこに落ち着くか分からなかったからだ。この寺は禅宗であり、華やかさはないがどこかジーンと趣がある、円覚寺よりも私は好きだ。境内にはサザンの桑田君(友達ではない、年下だから)が学んだ鎌倉学園がある。以前は墓参りは欠かさなかったが、ちょっとご無沙汰をすることが多くなっていた、まさに親不孝である。最近、反省し、いろいろあったし、月1で墓参に出かけている。車で八幡様の前を左折することなく、直進し、緩やかな坂を少し走るとその寺はある。17年前の記憶が思い出される、親父を助手席に乗せ威風堂々を流しながら骨壺を建長寺へと運んだ。その親父も30数年の時を超えおふくろと同じ場所で眠っている。何故か墓参の後は心が洗われる、線香の匂いにも神妙になる。墓の前で親父、おふくろに現況報告と親不孝を謝り、ちょっとお願いもする。そんな日はいつもあの気配がやってくる、風呂場で背中をそっと擦るような、いつもお前を守っているぞと言ってくる、親は死んでも側にいる間違いなく。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.06更新

Tears in Heaven

ご存知、クラプトンのバラードである。名曲である、全てにおいて。クラプトン41歳の時、息子のコナー君が生まれる、クラプトンは自分にどこか似ていたコナー君を溺愛した。彼が46歳の時、コナー君は母の自宅の階段を駆け上がっていた時、たまたま空いていた踊り場の窓から転落した。そこはアパートの53階だった。クラプトンの悲しみはあまりにもひどく、家に引きこもってしまった。また、酒とドラッグに溺れるのではと皆心配した。しかしそうなることなく、コナー君に捧げる曲を作ることでその悲しみを乗り越えた。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.06更新

この10年、悩み続けていた。誰にも恥ずかしくて言えなかった、無論夫にも。 意を決して婦人科を受診した、手術で治りますよ、大変な手術ではありません。入院も1週間ですよ、紹介しますから、これで飛んだり跳ねたりできますよ。と医者に言われた、この10年、何だったのか。早くお会いしたかった、残念です。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.05更新

我々は、祝福と感謝の下でこの世に生を受けている。

お母さんおめでとう、元気な赤ちゃんですよ。ありがとうございます。無事お産が終わった時の分娩室での光景である。

スタッフは祝福の言葉でお母さんを労い、お母さんは感謝の言葉で喜びを表現する。スタッフはその感謝の言葉で仕事を続けられる。

1日に何回、感謝しているだろうか? 1日に何回、ありがとう と言っているだろうか? 感謝の言葉は相手だけではなく、自分も幸せにしてくれる魔法の言葉でしょう。 ともすれば、忘れがちだが。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.01更新

昨夜は風が強くて、家が飛んで行ってしまうのではと、心配でなかなか寝つけなかった。 今夜は水曜日(毎週木曜日が休みなので、まあ、言ってみれば月曜日が水曜日になる)、 部屋をちょっと暗くして、タンベーで何年か前にマスターから貰ったグラスに氷を入れ、その上にBOURBONを注ぎ込み、好きなJAZZを聞く。秋の夜長、風が心地良い、アルトサックスとピアノがMISTYを奏でている、遠い思い出が蘇ってくる。さ、明日も頑張ろっと。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.01更新

まだ私が、新米医師だった頃、指導医師と、あるお産に立ち会った。

特に異常もなく、正常にお産は終わった。しかし、その患者は、しきりに生まれたばかりの赤ちゃんを気にしている、

当たり前だといえばそれまでだが、患者の様子が明らかにおかしい。

どうしたんですか?と聞くと、その患者は、前の子が手の指が1本多かったんですと言った。

指はちゃんと5本ありますよ、他にも異常はありませんよ、と答えると、涙をうかべていた。

よっぽど、心配していたんだろう。苦しんだのだろう。 母の愛は偉大である。がんばれお母さん。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.01更新

確かに、医学部受験は大変だけど、ある人がどこかで、君が医者になるのを待っているんだよ。

その人は、君にしか助けられないんだよ、その人きっと待っているんだよ。

君は、その人の為にも浪人生活に、負けないでほしい。

外来での、ある浪人生との会話より。

 

投稿者: 迫田産婦人科

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