院長ブログ

2018.11.15更新

父親とはどういう人種か?家族をあらゆるものから守ろうとするのが父親である、だから、戦争に行った。死ぬかもしれない、いや死ぬことを覚悟して。家族の為なら死ぬことも恐れない。母は子供を守る、父は家族を守る。家族を守るためには嫌な上司の下でも働く、つらい仕事でも頑張れる。家では頼りなさそうだが、一旦仕事をしだすと別人になる、家族はそれをあまり知らない。休みの日の父親が本当の父親ではない。女房が自分より先に逝くことを許さない、お前(女房)は長生きして子供を守れ。母親の愛は直接的である、父親のそれは間接的である、ゆえに分かりずらい。誤解を生むことも多々ある。娘との関係も複雑である、多少なりとも毛嫌いされるし、理想の男性像からは程等くなる。しかし、父親が一番心配するのは娘のことである、がそれを前面に出すと嫌われるから一歩下がって娘を見ている。愛想が無いようにみえるかもしれないが、それも父親の優しさである。幸せになってくれといつも心の底から願っている。 だから STAND BY ME ドラえもん で、しずかちゃんが嫁ぐ前の晩のお父さんとのシーンに涙する。                    父と娘

投稿者: 迫田産婦人科

2018.11.15更新

現代のようなマルチタスクワークやストレス時代においては、脳の過労が生じている。結果、情報処理能力の低下をきたし、記憶力、思考力、追行実行機能(段取りに従って、効率よく着実に作業をこなすための脳機能)、コミュニケーシヨン力が低下する。たとえば、物忘れがひどくなったり、なにもやる気がしなくなったり、なにもできなくなったり、他人との会話が億劫になったり、引きこもったり、不眠、頭痛、肩こり、めまいなどの症状が出てくる。特に、パソコン、タブレットなどを仕事でよく利用する人に多いといわれている。仕事で多くの情報処理を要求され、そのうえ仕事以外でもスマホなど使ってネットサーフィンやメール、ゲームを頻繁にするようになった。これでは脳の過労はさらに進み、情報を処理しきれなくなるのはいたしかたない。この状態が進むと脳の前頭部の血流の低下さえおこしてくる。これを予防するためにはチコちゃんに怒られるが、ぼーっとしている時間が必要である、ぼーっとするとは、あまり何も難しいことを考えないことである。自然の中を散策したり、ドライブを楽しんだり、スポーツをしたり、ジョギングをしたり、音楽を聴いたり、魚釣りをしたり、いろいろやり方はある。そうしている時、脳はどうしているか?最近分かったことですが、実はその時も脳は働いているんです。乱雑に記憶された様々な情報を整理整頓し保存し創造さえしているのです。脳のメンテナンスをしているのです。最近小さな子供までもがスマホを触っているのをよく見かけるが、いかがなものかと心配ではある。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.11.10更新

シンデレラエクスプレスとは、1987年にJR東海が東京発新大阪行の新幹線最終便に対して付けたキャッチフレーズ。21時ちょうど発だったことが、童話シンデレラをイメージさせたことからついたものである。

ここに1人の若い女性がいる、結婚はしているが、夫が単身赴任のため現在別居生活中である。まだ子供はいない、がどうしても子供が欲しいと頑張っている。お互いそんなに頻繁には会えない、同じ屋根の下で生活をしているカップルより条件はもちろん厳しい。医者が処方した薬を疑問に思い、徹底的に調べ上げるくらいに熱心な女性である。この治療は精神的にも肉体的にも苦しい、時間の制約もある。子供は夫婦の愛の結晶である、愛から生まれてくる、不妊という言葉を頭から完全に消し去ろう、そして心から愛し合い、乗り越え乗り越えていこう。笑顔が素敵なあなたへの贈る言葉。

シンデレラエクスプレス   距離に負けぬよう。 チーズ

投稿者: 迫田産婦人科

2018.11.01更新

今日は愛車の定期点検でスバル港南店に行ってきた。最近のスバルはちょっと大変なようだが、スタッフはそんなことを微塵も感じさせず、一生懸命頑張っていた。君らが悪いんじゃないんだから、と言ってあげたかったが恥ずかしくて何も言えなかった。頑張れスバル!car。特に車には異状なく順調のようであったが、エンジンオイルをちょっと良いものに交換してもらった、すると期待以上に走りが更にスムーズになった。5000円の出費は痛かったがこんなに変わるのかと正直驚いた。人間に例えるなら、温泉に入って疲れも垢もとってさっぱり、という感じですか。あなたも心のオイル交換いかがですか? 

nagoriyuki

 

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.31更新

今日は水曜日なので、午後からの休みを利用して、彼女と?久し振りに江の島まで湘南ドライブを楽しんだ。風もなく晴れていて、車の窓を開け134号線を走る。空は青く海も穏やかで気持が良い、江ノ電が走っている。鎌倉も、江の島も平日だが賑やかだ。ちょっと遅めの昼ご飯を食べ、頂上まで階段を登って行く、彼女がエスカー使わないの?と冷やかした。オリンピック開催が決まっているヨットハーバーを眼下に見下ろす、各大学のヨットが小さく見える。中村屋羊羹(ようかん)店で女夫(めおと)饅頭と海苔羊羹を買い、店の前の小道を通って下って行く。実はこの道、素敵なview pointなのである、人通りが少なく、海岸線が見通せ、富士山も見える、頂上からの帰りは必ずこの道を通る。噴水池の近くの岸辺で一服、そこでただ海を見つめる、何人かの釣り人が糸を垂らしている、鳥も飛んでいる、穏やかな秋の午後、ハロウィンとは無縁の時間がそこにあった。

11月は俗称、霜月と呼ばれる、文字通りこれから寒くなってきます、風邪などひきませんようにお体を大切に。海を見ていた午後(場所違うが)        あ、そうだ、しらすと蛤も食べたっけ。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.30更新

沖縄は昔はアメリカだったのをご存知ですか? 沖縄が日本に返還(復帰)したのは、昭和47年、西暦1972年、つまり、46年前になります。 私が与那国島に行ったのは、昭和38年、西暦1963年、小学5年生の夏でした。 当時はアメリカでしたので、パスポートが必要でした、そればかりではなく、予防接種なども必要でした。富山県に住んでいたので、沖縄までの旅行はそれは大変でした。汽車(蒸気機関車 煙の出るやつ 懐かしい)で富山を出発、関門トンネルを通って九州にわたり、鹿児島まで行き、鹿児島で一泊。それほど裕福ではなかったので(どちらかといえばかなり貧乏)急行、鈍行を乗り継いでの長旅でした。それから、那覇港まではおよそ24時間かけての船旅(当時、飛行機など考えられなかった。本当に隔世の感あり)港に降りる前になんと税関検査! それから那覇市内の母の妹の自宅までタクシー(右側通行、これにびっくり、嗚呼、アメリカだ~あ、外人さんも多い多い)家は洋風ちょっとアメリカ風(でも、立派な建物ではなかった、ごめんなさい)、そこで1週間過ごしたのだがいろんな経験をした。まずお金、円ではなくドル、セント、沖縄には汽車がない、タクシーをよく利用する。とにかく暑い、従弟と飲み物を買いに行ったが、これ飲んだことがある?と私に聞いた。瓶に入ったその液体は黒色をしていた、見た目には決しておいしそうには思えなかったが、あまりに勧めるので、仕方がないから飲んでみた、のが悪かった。一口で吐き出してしまった、それは想像をはるかに超えた代物であった。子供が飲むものではなく、何かの薬が入っているのではと思わせるほどまずかった。しかし、従弟はおいしそうに飲み干した、なんでえ?こんなにおいしいのにい~。これなんて言うの? コーラって言うんだよ。当時、コーラはポピュラーな飲み物ではなかった、名前すら知らない大人も多かった、がここ沖縄では人気の飲み物であった。それ以来コーラと聞くと、その時の味が蘇ってきてムカムカしたのを覚えている、それ以来、10年以上もコーラを飲むことがなかったが、魔が差したか飲んでみたら、まるっきり味が違っていた、どうやら、コーラの味はお国柄に合わせているようだと後で知った。多感でちょっと素敵な中学生の従姉は、ウエストサイドストーリーに夢中になっていた。それと、沖縄の人は日本本土のことを内地(ないち)と言っていたが、小学生の私には違和感が強かった。次は石垣島に渡ったがもちろん船旅、石垣島では親戚のおじさんが三線を弾いて聞かせてくれたが、子供心にもどこか物悲しい感じがした。当時の私は沖縄の悲惨な歴史を全く知らなかった。石垣島には車はあまりなく、もっぱら大きな牛が荷物を運んでいた。次は最終目的地の与那国島、石垣島からもちろん船で、これが50年以上経った今でも忘れられない、本当の旅の始まりでもあった。 続くかも。nini

You've Got A Friend

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.26更新

 

元気がないなら Superstition( live by Stevie Wonder ステイービー・ワンダー スーパーステイシオン) 40年以上経ってものれる曲。1000回は聞いてはいない。 バックもすごい。   Part Time Lovers ( live by Stevie Wonder ステイービー・ワンダー パートタイムラバーズ ) 意味深。観衆と一体ですごい。     HeartBreaker ( by Dionne Warwic デイオンヌ・ワーウイック ハートブレイカー)相変わらず素敵な良い曲です。   I Will Survivelive by Gloria Gaynor ) 男の子びっくりです。   

 

癒されたいなら Lately ( live by Stevie Wonder ステイービー・ワンダー レイトリー )泣くかも。      I'll Never Love This Way Again  ( by Dionne Warwic デイオンヌ・ワーウイック) 名曲です。   That's What Friends Are Forby  Dionne Warwic & friends デイオンヌ・ワーウイック と仲間達 ) グラデイスも良い。     Always ( by Atlantic Star アトランテイック・スター オールウエイズ 1987 ) 好きな曲です。どこか日本的。      誓い by The Stylistics スタイリステイックス 誓い )最高のファルセット。何回聞いたか、100回以上かも。   I Miss Youby Klymaxx クライマックス )  たしか、マイケルも歌っていた。

 

渋さなら      A Whiter Shade of Pale (live in Denmark 2006 by Procol Harum プロコル・ハルム 青い影)渋すぎ、かっこ良すぎ。まだ、ニキビの少年の頃の曲です。  Feel like making Love Bob James Quartet live at Java Jazz Festival 2010 )上手い、渋い。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.13更新

先日、建長寺に墓参りに行ってきた。もうすぐ17年になる、ここに墓を建てたのは。 それまでは倉敷の寺に遺骨を納めていた、この商売どこに落ち着くか分からなかったからだ。この寺は禅宗であり、華やかさはないがどこかジーンと趣がある、円覚寺よりも私は好きだ。境内にはサザンの桑田君(友達ではない、年下だから)が学んだ鎌倉学園がある。以前は墓参りは欠かさなかったが、ちょっとご無沙汰をすることが多くなっていた、まさに親不孝である。最近、反省し、いろいろあったし、月1で墓参に出かけている。車で八幡様の前を左折することなく、直進し、緩やかな坂を少し走るとその寺はある。17年前の記憶が思い出される、親父を助手席に乗せ威風堂々を流しながら骨壺を建長寺へと運んだ。その親父も30数年の時を超えおふくろと同じ場所で眠っている。何故か墓参の後は心が洗われる、線香の匂いにも神妙になる。墓の前で親父、おふくろに現況報告と親不孝を謝り、ちょっとお願いもする。そんな日はいつもあの気配がやってくる、風呂場で背中をそっと擦るような、いつもお前を守っているぞと言ってくる、親は死んでも側にいる間違いなく。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.06更新

Tears in Heaven

ご存知、クラプトンのバラードである。名曲である、全てにおいて。クラプトン41歳の時、息子のコナー君が生まれる、クラプトンは自分にどこか似ていたコナー君を溺愛した。彼が46歳の時、コナー君は母の自宅の階段を駆け上がっていた時、たまたま空いていた踊り場の窓から転落した。そこはアパートの53階だった。クラプトンの悲しみはあまりにもひどく、家に引きこもってしまった。また、酒とドラッグに溺れるのではと皆心配した。しかしそうなることなく、コナー君に捧げる曲を作ることでその悲しみを乗り越えた。

投稿者: 迫田産婦人科

2018.10.06更新

この10年、悩み続けていた。誰にも恥ずかしくて言えなかった、無論夫にも。 意を決して婦人科を受診した、手術で治りますよ、大変な手術ではありません。入院も1週間ですよ、紹介しますから、これで飛んだり跳ねたりできますよ。と医者に言われた、この10年、何だったのか。早くお会いしたかった、残念です。

投稿者: 迫田産婦人科

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